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リモコンあったよ。
  部屋の電灯のリモコンが無くなって、昨日の夜は布団をひっくりかえしたり、椅子の下を覗き込んだりした。それでも見つからなくて、明日は仕事で早いし、いつまでも起きていられないからしぶしぶ寝た。
 驚いたことに、出社し、働いているときに自分の通勤カバンの中からそのリモコンは出てきた。
 そういうこともあるもんかなぁ、と今日は首を捻ってばかりいたように思う。会社帰りに電車の中で、ふと思いつき、カバンの上からスイッチをぽこんと叩いてONにした。しばらくして、なんだか寂しくなったので今度は静かにOFFにした。
 家に帰って部屋に入ると電気は消えていて、それはごく当たり前の風景なのに少しだけ嬉しかった。

明日も仕事。
おやすみなさい。
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はじめました。
 突然だけど、twitterを始めてみた。
 やらない人はわからないかもしれないけれど、そこではすべてが早い。
 発言すればすぐに返信があり、僕が勝手にお気に入りに登録した人が3分後には僕のページをお気に入りに登録していてくれていたりする。
 スピードといえば、寺山修司の有名な著書「書を捨てよ、町へ出よう」の出だしはこうだ。

 ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。
 ところが、親父たちはカメに見習えというのだ。カメの実直さと勤勉さ、そして何よりも「家」を背中にくっつけた不恰好で誠実そうな形態が、親父たちの気に入るのだろう。
 正直な話、僕はもう旧弊な人間でカメ派だ。カメラのプリント待ち死亡を儚んで、デジカメを憎み、携帯無しじゃ生きていけないという若者の発言を聞くと「おお、人間はいつからこんなに脆弱になってしまったのじゃ」と天を仰いだり仰がなかったり。
 というか、ついていけないのだ。この「ついていけない」を略さず言えば「”ついていきたいけど”ついていけない」であって、唾棄して言ってはいない。親世代の「ついていけない」とも、何の衒いもなく流行に乗れる若者とも違う。伝統だけを好きになれず、流行にも遅れがち。今の年齢特有の病理かもしれない。ラクを選べば流行にはのらないけれど、痛ましくも流行に乗る。乗ってやる。
 またもう少し時間が経つと、自分も親の世代の幸福論へとシフトするのかもしれないけれど、こういう気持ちもあったことを忘れないために、今日このブログで書いておこう。
 しかしほんと、以前ブログに書いたヘルマンヘッセ「荒野のおおかみ」の主人公、ハリー・ハラーみたいだ。再読してみよう。
 

犬と猫/中村一義

どう?
のんびりと僕は行く 痛みの雨ん中で
“痛み”なんて どう? 最近どう? あぁ そう
皆 嫌う 荒野を行く ブルースに殺されちゃうんだ
流行りもねぇ もう 伝統 ノー
んで行こう! ほらボス落とせ!
そう 皆 そう 同じようなもんかねぇ
犬や猫のようにね
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