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夢見る電球たち
2009.09.22 Tuesday
車に慣れてきた。
ほんとうに恐くて恐くてしかたがないと思ってたのだけれど、慣れっていうのはいつの間にか向こう側からやってくるみたいにふいに自分に訪れるものだったりするものなのか。 大学時代に車を一台大破させてからは「もう無理」「もうヤダ」「もう乗らない」のもう・もう・もうだった。 車を仕事で使うということで無理して手に汗なんぞかきながらイヤイヤ乗って、徐々にリハビリが開始された。「もう大丈夫かも」「もうイケるかもしれん」「もう乗ってもいい」のちょっとポジティブもう・もう・もう。 いまやカーヴでサイドブレーキを使うまでに、は成長してないけど、恐くないし、片手でふんふん鼻歌をくちずさみながら余裕を全身で表現できる。頭からつっこんで駐車していたのも、最近バックでの駐車もちょっとうまくなってきた。タクヤからも「うまくなったな」とか言われた。 そろそろ車に豆腐を載せて峠を攻めてもいいかもしれない。 先日、駐車場で例によってうまくなったと自負しているバックで駐車を試みたのだけれど、すこし曲がってるかもしれないと思った。サイドミラーを見てもわからない。もう車も止まってるし、ほんの少し確認したいだけだから窓を全開にせずにちょこっとだけ窓を下ろして顔を少し出した。 なんだ、OKじゃん。 窓を閉めたら顔を挟まれてしまった。 さすがパワーウィンドウ。名前に負けないパワーだ。 助手席を振り向くと、あっはっは!たじまなにやってんのバッカじゃねー! 後ろに乗っている友人達は、記念に写メっとこうぜっ、て言って笑ってる。 明るい空気。みんなの笑顔、笑顔、笑顔。 パワーウィンドウ、すごい力だったよ。 あたりめーじゃん、あっぶねーよ。 あっはっはっは!あっはっはっは! こういうときに限ってひとりだから困る。 そしてそれをブログに書いて消費する自分。 あっはっはっは!くちびる痛い。 ※題名に意味なし。 ↓これなら挟まれそうにない。 Let Yourself Go,Let Myself Go/Dragon ash 一筋縄 と、ご報告。
2009.09.19 Saturday
先回、読書メーターまとめでも触れたとおり、吉田篤弘氏の本がすんばらしく僕の好みにぴったりだったので、今回はちょこっと紹介させてください。その前に少しだけ吉田篤弘氏の紹介を。
彼は、吉田浩美(妻)と共にクラフト・エヴィング商會(しょうかい)という名義で本をいくつか出版していて、自身の名義でも小説をいくつか発表している。今秋には「つむじ風食堂の夜」が映画として公開されるらしい。諧謔味、シュールさ、それと少しの教訓。そのどれもがほどよい。 今回紹介するのは、「ないもの、あります」というクラフト・エヴィング商會名義の本。まず開くとこう書いてある。 ―店主より御挨拶そして目録には、「舌鼓」「左うちわ」「助け舟」「金字塔」「冥途の土産」「語り草」などがずらりとラインナップされている。中には「獲らぬ狸の皮ジャンパー」なんていう、聞いたことないぞ!とツッコミを入れたくなるものもまじっていて、それもまた面白い。このような「ないもの」を言葉巧みなセールストークと共に、すこしの気づきと注意をもって商品に仕立て上げて紹介するという趣向の本なのだ。今日紹介したいのはその中の「一筋縄」。 一筋縄(ひとすじなわ) catalogue no.21 これもまた、じつに問い合わせの多い商品であります。 たとえば― 「……じつは今、ちょっと、にっちもさっちもいかない状態にありましてね、なんとか、こう……一筋縄で、ぐっと解決しないものかなぁ、と思いまして……ありませんかねぇ? いい感じの<一筋縄>」 と、こんな具合です。 答えはイエスにしてノー。 いえ、たしかに当商會の商品カタログに、<一筋縄>という商品が掲載されていることは確かなのです。あるには、あるのです。 しかし、<一筋縄>で、「ぐっと解決」することは出来ません。 「<一筋縄>ではいかない」 これが、正しい文法であります。 したがって、その商品もまた、当然ながら、 「ではいかない」 わけです。 いえ、確かにとても「いい縄」ではあります。誰がどこからどう見ても、何の不備もありません。そこには、「この縄さえあれば」という先行イメージが確実にあります。 しかし、そうは「いかない」わけです。 では、なぜ「いかない」のでしょう? なぜ、「一筋縄でいく」という言葉は存在しないのでしょうか? あれば、至極便利なのに。 ……そう、そこなのです。 その「便利」というもの。これこそが曲者です。 「便利ならば、それでよいのか?」 この<一筋縄>という商品は、われわれに、そう問いかけているのではないでしょうか? 「たまには、あえて不便というものを愉しんでみよ」 そう言っているのではないでしょうか? ですから、この<一筋縄>なるもの、徹底して不便に出来ています。確かに「一筋」なのですが、極端に短く、重く、固く、およそ縄としての存在理由が見つかりません。 この商品の利点は、貴方が<一筋縄>で、まとめ上げることのできなかったものの「大きさ」と「手ごわさ」とを、痛いほどはっきり示してくれることなのです。 すなわち、貴方の真の力を教えてくれる道具なのであります。 物理的には、永遠に何の役にも立ちません。 びっくりするくらい重くて固い縄です。いやな 臭いまで染みついています。しかし、この縄 は、あなたの「便利のみを追求する気持ち」 を、永遠に締め上げてくれます。にっちもさっち もいかなくなったとき、あえて、この縄を取り出 し、おのれの無力さを味わいましょう。 と、こんな感じの本です。1冊1時間ちょっとあればたちまち読了します。読んでる間、にやにやが止まらなくて非常に危ない、いや、アブナイ人っぽくなりますので注意してください。(画像が暗くてごめんなさい) それと、ちょっとだけ報告を。 長い間お世話になりましたmixiを26日か27日には退会する予定です。 うーん、これを説明するにはちょっと自分でも手に余ります。 でも、なんというか、mixiというのはまさに「あえて不便を愉しんでみよ」の招待性SNSとして開かれたネットの世界にあって、閉じた空間を演出して成功したところがあるように思うのです。 そのmixiが未成年を入れたり、アプリ、つぶやき、仲良しマイミクなどなど最近とみに色んな機能でてんこ盛りになっている。どうにも不便がない。とても便利だ。 mixi経由で見てくださっている方が多いのもわかっているけれど、あえて言う。 「便利ならば、それでよいのか?」 僕は<一筋縄>を取り出して、無力さを味わいながら、今いちど不便さが恋しい。のかもしれない。 耳かきのあれ。
2009.09.17 Thursday
耳かきの綿の部分を「ほわほわ、ふふふん」「ふふふん、ほわほわ」とにょにょっ記(穂村弘著)に書いてあるらしく、僕はそれをshinkaoさんから聞いた。
あー、綿の部分ね、梵天(ぼんてん)か。って言ったら、え!?梵天って名前あるんや!?ってびっくりされて、え、そういえばなんで僕は梵天って名前を知ったんだっけ、って思ったんだけど、どうやらコンビニでその名前を知ったような記憶がうっすらあるのだ。 一列に並んだ「梵天みみかき」 梵天ってなんだ? 裏を見てみる。 図がある。 綿の部分から線がのびていて、「梵天」と書かれている。 なるほど、梵天か。 よし。(なにが「よし」かは不明) えみさんからも、あー、たじまくんがいかにも知ってそうだなそういう名前、とか言われて、なんとなく納得した。確かに、いかにもたじまが知ってそうな部分ではある。 先日、原田さんにそういうことがあった旨を伝えると、机をバンバン叩いてゲラゲラ笑われた。あー、わかるわかる!たじまくんがいかにも知ってそう!とか涙目で指差されながら言われる自分どうよ、と思ったけど幸せそうに笑ってるからいいや。ってその時は思ったんだけど、「いかにもたじまくんが知ってそう」から「たじまくんが梵天の名前を知らなきゃダメだろ」になって、「むしろたじまくんが梵天だよ」とかになってびっくりした。 いや、頼りないところはあるかもしれないけどさ、梵天に形容される男ってどうなのよ。 ほわほわ、ふふふん ふふふん、ほわほわ Here Comes Your Man/Pixes
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シングル・セル
2009.09.15 Tuesday
本書はえみさんオススメの本で、増田みず子という人自体初耳だが、深い!とにかく深い! 本の裏にはこのように紹介されている。 椎葉幹央は大学院に籍を置く学生、五歳の時母をなくし、十六歳の時父と死別、以来一人で生きている。 脳みそを休ませていると話についていけない、ということはないが、多くの謎が残るままに妙な読後感を残してしまう。主人公の性質が、どうにも不可解な点、というよりも普通ではないところが多いのだ。 椎葉幹央は物心ついたときから父との二人暮らしで、父が死んで(幹央は十六歳)初めて戸籍標本を取り寄せ、自分が五歳のときに母が亡くなっているということに気づくのだ。普通だったら母親の不在についてもっと気したり、父と会話したりと何かしら交流があってもいいはずなのに、それがまるでない。『彼と父との仲は、親子であるという以上に、共同生活者であったのだ』とあるほど、二人は互いに干渉も交流もあまりもたず、三度の飯と、衣服、学校での必要な金だけで満足を覚えていたし、お互いがお互いを悪くない共同生活者、という一見醒めた関係でもって当人達は不足を感じない。 また、父が亡くなってから、会社の同僚であるGという人物が葬儀のあらゆる手配や、近親者への報告、椎葉の将来のことを案じての助言に対し、当の椎葉はすげない態度ばかりとる。 Sという友人の思いやりに対しても冷たく、高校の担任教師への進路に対する意見も、これをしりぞける。 彼は再び猛勉強をはじめた。彼の学力を判断して教師がすすめてくれた学校ではなく、その上の学校を目指した。そこは君には無理だ、と教師が仄めかしたからである。農学部を選んだのは、クラスに、農学部を志望する者がいなかったからである。というくらいに、反発から自分の道を決めるきらいがある。そしてまわりの人々から離れていく。しかし、そうして選んだ道が偶然にも(?)自分の心地いいと思える場で、椎葉は自分の考えに力を得る。ますます人のほどこしは受けない、助言は聞かない、反発する。 もちろん彼は孤独だけれども、それをどうとも思っていない。むしろ心地よさを感じている。しかし、ある日、修士論文を書くために宿泊した宿で、陵子と出会う。陵子は両親と不仲で、一人暮らしをしているらしいが、椎葉と出会い、椎葉の家にいつくようになる。陵子も不思議で、必要以外は一切口をきかず、部屋にいるだけで生活している痕跡を全く残さない。家にいるだけで、たまに夜に椎葉との体の交流があるくらいだ。何も文句も言わず、食事をどこでとるのかさえ判然としない。椎葉が家を空けるとき、どうしているのかは全くもってわからないし、椎葉もそれをことさら聞こうとはしない。他人の家の猫が住み着いて、どうやら向こうでこちらを気に入っていて、こちらも向こうを気に入っている、という程度のまるで人間同士の交流とは思えない男女関係だ。 ようやく一週間目あたりだったろうか、陵子の居候は案外長引きそうだ、と彼は気がついた。帰るたび、今夜もいた、今夜も居すわっている、と驚いていたのだが、やっぱり今夜もいなくならなかった、と安堵する思いに少しずつ変わってゆき、きっと今夜もいるぞ、と思い、いろ、と思う。いても驚かなくなる 住み着いた猫、と椎葉が思っていたのもつかの間、いつの間にか椎葉の方に陵子に対しての依存が出始める。ようやく人間らしさを得たと言っていい。そのうち相手のことが気になりだした椎葉は、しだいに陵子に対して興味を持ち始め、なぜいつまでも部屋にいるのか、両親はどうしているのか、なぜ自分を選んだのか、と少しずつ質問をしていると、ある日陵子が部屋から消える。 そしてまた、陵子は舞い戻り、自分のことを椎葉に語りだす。両親との不仲、旅館の跡継ぎだった兄の失踪、正月の息苦しい家族との空間。―類は友を呼ぶ。二人は互いに孤独で、人同士のつきあいが極端に不得手なのだ。 「大勢の人に囲まれていればいるほど、賑やかで楽しいほど、気が滅入るの。まわりが活発で忙しければ忙しいほど、私は手持ちぶさたで退屈する。どうしてこんなに淋しくて退屈なのかしら、といつも思ってた。でも、ここにいると、なんだかとてもうきうきしてきて、やることがいくらでもあるって感じ。あなたを見ていると、とても人が懐かしいように思えてきて、自分でもよくわからないけど、すごく健康で元気で明るくなった。他の人では、だめなのよ。私を放っておいてくれる人がそばにいてくれないと。ふつうは、矛盾よね。放っとくくらいなら、付き合わないでしょ。でもだんだんあなたも他の人と同じになっていく。いろんなことを知りたがるのは、でも、仕方がないんだと思う」ヘーゲルという哲学者は、社会をひとつの「木」個人を「一枚の葉」として捉えた。木にはたくさんの葉がついている。ヘーゲルの考えでは、我々ひとりひとりは、この葉と同じだ。社会という幹につながっていなければ、存在する意味がない。木全体の中で葉の役割が決まるように、社会の中にあって初めて個人の存在価値も考えられるのだ。一枚の葉は枯れ落ちても、社会である幹は、成長を続ける。椎「葉」「幹」央、という名前はもしかしてこの考えから採られたのではないだろうか。 また、先の引用から、大勢といて人心地がつかないのは椎葉も同じだ。陵子と同じく、幹に、社会集団に、距離を置いている。社会から切り離された個と個、孤と孤は、それだけではたしてうまくやっていけるだろうか。それは、椎葉の論文のテーマでもあるのだ。 「シングル・セルって、知ってます?」ミイラ取りがミイラに、という様相。最後にはどうなるのか。それは本書をとって読むことをおすすめしたい。少しばかり難解、ということは言っておきます。 ―追記― すみません、この「シングル・セル」は絶版でした(笑)図書館で見つけるか、ネットで見つけるか、古本屋で見つけるかしてください。文庫本なのに1300円。さすが講談社学芸文庫。文芸って売れないんですねー…好きなんだけどなぁ。 読書メーター8月まとめ
2009.09.07 Monday
いつの間にか1ヶ月も更新をしていなかったらしい。気にかけてくださった方達には申し訳ないことを致しました。(左脳さん、コメントの返信遅れに遅れてすみませんでした…)
夏は暑いから嫌いです。暑いのが苦手です。でも、ちょっとした緑のある小路などを散歩していると、葉の匂いの豊潤さと濃厚さが際立っていて、そこに風など吹いてくれるととてもいい気持になります。昨日は芝生のあるところにまで散歩をしていたのですが、他の緑の匂いの中にあっても芝生の匂いはふしぎにそれとわかります。柑橘類に似たツンとするようなところがある。 まぁそれはさておき読書メーターまとめ、8月分です。 8月の読書メーター 読んだ本の数:9冊 読んだページ数:2659ページ という、はなし こんなに素晴らしい本を知らないでいたなんて、と一瞬悔やまれたけれども、この本にめぐり会えたことが今は非常に嬉しい。フジモトマサル氏の絵に挿文として吉田篤弘氏が2ページ半の物語を入れる。作家の想像力ってすごい。また、どれも読書にまつわるかわいい話ばかりでとても充実した時間が過ごせた。「話の行き先」と「灯台にて」と「何ひとつ変わらない空」がとくに良かった。どれもこれもいいんだけど! 読了日:08月28日 著者:吉田 篤弘,フジモト マサル 真昼のプリニウス (中公文庫) 読了日:08月25日 著者:池澤 夏樹 ルドルフ・カイヨワの憂鬱 (仮) 優生主義者の思惑、国家の深謀、NASAの長期計画。体外子宮での人工授精はそれぞれの思惑によって推し進められる。物語の重厚さに大満足。この作者はもっと評価されてもいいはずだと思う。 読了日:08月19日 著者:北國 浩二 リバース この量でこれだけの伏線の多さと綺麗な回収、希望のあるラストを目指してしまったためか、登場人物の存在感が薄いと感じてしまった。なんで皆が済世園に集まってるんだっていう笑 「ルドルフ・カイヨワの憂鬱」で見せてくれた厚い内容、「夏の魔法」で見せてくれた胸が苦しくなるような感情、こういう作品を時間がかかってもいいから僕は期待して待ってます。頑張ってください、北國さん! 読了日:08月14日 著者:北國 浩二 嵐が丘 (新潮文庫) 狭い世界で繰り広げられる愛憎劇。「憎」があまりに多すぎて途中で読むのをやめてしまおうかとも思ったけど、おだやかな着地点にほっとした。他人を羨むという気持ちは本来だれでも持っているとは思うけれども、この作品の登場人物はどうも不幸を相対化して「あいつは自分より不幸でなければいけない」という思い込みが激しい。互いが互いの足を引っ張り合って皆がどんどん疲弊していく。キャサリン・アーンショーの傍若無人ぶりはイラつかされました。ジョウゼフのセリフにいちいち笑った。 読了日:08月13日 著者:エミリー・ブロンテ,鴻巣 友季子 短歌はじめました。 百万人の短歌入門 (角川文庫ソフィア) この本でようやく入門できました。アマチュアの方達の短歌を選評して、どこがダメなのか、どこがいいのかを3人で語るという形式で進みます。ねむねむさんってすごい!さぁ短歌をつくってみよう、という気になりました。 読了日:08月10日 著者:穂村 弘,東 直子,沢田 康彦 たんぽぽのお酒 (ベスト版文学のおくりもの) ダグラス・スポールディングスとトム兄弟の夏の思い出といった短篇なのだけれども、死が付きまとうのに不思議とカラッとした作品。ある日自分も死ぬんだ、と知るダグラス。アーケードにある蝋人形のタロットマシーンを盗み出して、その蝋人形には閉じ込められた魔女が中にいる、助けを求めてる、その魔女を助けて自身にふりかかるあらゆる災難を予知してもらって永遠に生き続けたい!と強く願う章がとてもいい。フリーリー大佐、ヘレン・ルーミス夫人、屑屋のジョウナスといった脇役の老齢者がこんなにも輝いてるのは、正しい時代のありようだと思う 読了日:08月07日 著者:レイ ブラッドベリ 若者はなぜ「決められない」か (ちくま新書) なぜ決められないか、の要諦はあんまり大きく扱っていないけれども、なるほどと肯うところが多かった。若者自身の可能性の幅が大きいために就職という英断の二の足を踏ませ、嗜好による視野狭窄と、最大公約数しか見ない社会の視野狭窄がステレオタイプな職業観を植えつける。そんな障害が多い中で何をよりどころとして自身の立脚点を定めるか。結局のところ今の自分を真剣に見つめる、というところから出発するしかないのだ。甘い夢に血道をあげているフリーター達は読むべきだ。 読了日:08月04日 著者:長山 靖生 にょにょっ記 説得力なく、想像力なく、妄想力で書き連ねた日記。太極拳をしながらちんじゃおろーすーの発音をおもいっきり中国人っぽくして「ちん・じゃうお・らお・すうう」 もう、あたりいちめんすっかり中国だ。と、そう言う。これで中国っぽいっていうそのチープさが可愛い。ステレオタイプな妄想のドライブが笑わせてくれる。買って損はないけど買わなきゃ損とは言えない。しかし穂村ファンなら必携の書。ファンじゃなくても入門にどうぞ。 読了日:08月04日 著者:穂村 弘 読書メーター 8月は以上の9冊でした。他にも枡野浩一さんの「石川くん」と、長嶋有さんの「いろんな気持ちがほんとうの気持ち」も読んだのですが、登録し忘れていました。実際は11冊ですね。ちなみに真昼のプリニウスは再読なので感想は割愛です。(なんで画像がないんだろう…) 上の感想にも書きましたが、短歌の良さがようやくつかめてきました。それというのも自分で詠む、という新しいことに挑戦したおかげですね。人様に見せられるものじゃないので見せません。見ても面白いものじゃないです。現在進行形で勉強中といったところです。 今は吉田篤弘さんの著作を片っ端から図書館から借りては読み漁ってます。「という、はなし」が良すぎました。穂村弘さん以来の衝撃か。ということで8月の1番はなんていったって吉田篤弘の「という、はなし」です。見つけたらもう立ち読みなどせずささっとレジへ持っていってください。普段あまり本を読まない人でもおすすめできます。 個人的な話。 ぼくの8月の1番大きな出来事は、このブログの他にもう一つブログを書くことになったこと。それは今3人で書いていて、まだここでは紹介できませんが、なかなか面白い。持ち回りでお題を出して、それに3人がそれぞれの方法で応えて書くというもの。もう少しまとまったり、公開できる形にまで成長したら紹介できるかもしれません。 もっと他にいろいろとあったことを書きたいのですが、ここでだらだらと書くのはあまり美しくないのでまた他の記事で書きます。それでは。
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