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茶色のお茶って、なんですか。
2008.10.27 Monday
つい先日、ちょっとした用事があり、1日だけの休みにもかかわらず実家へ帰った。
到着したのが早朝で、家の人は誰も起きていなかったのでニュースをぼけっとしながら見ていたところに、起きだした姉が「あれ?帰ってきてたの?」と居間へ入ってきた。 僕は 「おめでとうー」と拍手をする 「はぁ?なにが?」 「おめでとうー」 「?」 僕と姉は、仲の良い姉弟だと思う。お互いの友達の話もよくするし、時間が合えば一緒に本屋へ行ったりする(趣味も同じ)。姉とケンカらしいケンカをしたことは、もうほとんど覚えてないくらい昔にまで遡らなくてはならない。 姉が高校のとき、あきらかに沈みこんでる時期があったように思う。そのとき姉はすでに家を出ていて、離れて住んでいた。だからあまり会わなかったし、話すこともなかった。あれは夏休みかなんだったか、家で、家族と一緒にご飯を食べているときだった。ふいに「あぁ、死んじゃいたい」と姉が呟いた。僕は笑って「太宰でも読みましたか、先生」とツッコミを入れたのに、姉は食事を終えてすたすた自分の部屋へ帰って行くわ、両親は真剣な顔して「どうしてそんなこと言うの」って真面目に取り合おうとするわで、僕だけが取り残された。あぁ、そうだったのか。 姉はいじめか何かにあっていたんじゃないか、と思う。そう思う根拠はなんにもないけれど、あれくらいの時期の「死にたい」にはそれしかないんじゃないか。それとも相当重症な太宰病患者。(だったらツッコミに反応してもいいようなものだし) 僕にしてあげられることなんて何もなかったけど、何もないなら無いなりに、知らないフリを通して、いつものようにしようと勤めた。たぶん姉は僕に知られるのは一番イヤだったんじゃないかと思う。両親が何かを知っているようで、僕だけ知らないってのも気がかりだったから。 その姉にとってのツライ時期がいつ終わったかわからないけれど、徐々に元気になっていった。まぁ人生ラクありゃ苦もありですよ。 一月ほど前になるけれど、母親から電話がかかってきて、開口一番 「ユウ(姉)に彼氏ができたみたい」と言ってきた。 「はぁ?なんでわかったの?ユウをつけまわしてるの?」 「そうじゃなくてね、ユウが言ったの」 「自分で?」 「そう、自分から。うきうきしちゃってまぁー」 「あのユウにねぇえ」 「あたしはユウ、完全に負け組みだと思って諦めてたのにね」 「こらこら、あんな娘でも年頃の女の子なんですよ」 「彼の顔が見たいもんだわ」 「まったくですなぁ、母上。それより何か用?」 「まぁ、それだけ」 「おいおい・・・」 そして早朝の居間。 「あぁ、彼氏ができたってこと?」 「そう!そうですよお!」 「いったい誰から・・・りんちゃん(母親)か」 「電話でわざわざね」 「写真見る?」 「あるの?」 「うん、待ってて」 「名刺かあ、顔がよく見えないじゃん。彼美容師なんだ」 「まぁ。あ、親には言わないでね」 「オッケー。生きてりゃいいこともあるよなぁ」 「はぁ?まぁね」 「恥の多い人生を送ってきました。自分には人間の生活というものが見当つかないのです」 「なんで太宰治?」 「合格!おめでとうー!ぱちぱちぱち」 振られないようにね。 コイスルオトメ/いきものがかり ストーリーにときめいた! 謎。
2008.10.25 Saturday
すんごい本を読んでしまった。
その名も「ポルタス」 何がすんごいって、どこを開いてもつまらないんですよ、お嬢さん。これはいったいどういうことなんだろうって思ってしまった。いろんな小説、漫画を読んではいるけれど、大抵どこかしら、それがたとえ一文だったとしても、光る部分があるものだと信じていた。が、それはどうやら間違いかもしれないなぁ、とこの本を読んで気づいた。 あんまりな酷評は、見ている人も気持ちいいものではないと思うので控えるけれど、あまりの酷さに、この酷さはどこからくるんだろう、と考え抜いてる間に5回は読んでしまった。 いいところをあげるとすれば、読んだ本の中でぶっちぎりワーストの座に鎮座する記念碑的な作品になったというところか。 ストーリーとか、もう書くのもうんざりなので、あらすじだけでも知りたい方は検索してみてください。勇気のある人は買ってみてください。 この酷さをうまく説明できるレヴューを読んでみたいものなので、左脳さん、八方美人男さん、えみさん、どうでしょう。 あなたなしで。
2008.10.20 Monday
an・an10月号を読んだ。
本格M男に調教するために 「彼のアンダーヘアを半分だけ剃り、“残りは次ね”としばらく放置。トイレに行くたびに恥ずかしさとなれない感覚からあなたのことを思い出し、性的欲求を高めるはず。さらに次あったときも“もう伸びてるじゃない”と再びおあずけ。これでもう身も心もあなたなしではいられません」 だそうだ。 なんだか知らないけど、僕の手帳にメモとして残っていた。 活用したい女性の皆様、お試しあれ。 あなたなしでも充分やっていけます、ほっといてください。 −アンダーヘアより。 中高生向きですか、本当に。
2008.10.15 Wednesday
本を選ぶときに何が基準になってるのか、とふと考えて、まぁいろいろだよなぁ、と思った。表紙に惚れて買うこともあれば、題名になんともいえないシンパシーを覚えるときもあるし、作家の名前の響きが好きで、とか、書評を読んで、というのもある。
まぁ本ってお金をそんなに使うものでもないし、幅だってそこまでのものではないし、気軽でいい。最近になって「出版社」という基準も入ってきて、これがなかなかに画期的だったりする。 最近とみに読んでいるのが筑摩書房の「ちくまプリマー新書」と理論社から出ている「よりみちパン!セ」だ。どちらも似たようなテーマを掲げている。それは「中高生向き」ということ。小説ではなく、新書だから、まぁ「論」ではあるけれど中高生向きだから「悩み相談」って感じでとにかくやさしくって有り難い。 バックナンバー、最新刊とも各サイトで見てもらえばわかると思うけれど、なかなか面白そうなのが揃ってると思わないかなぁ。 以下、ちくまプリマー新書 『世界征服は可能か』 『死んだらどうなるの?』 『おはようからおやすみまでの科学』 『新しい道徳』 以下、よりみちパン!セ 『正しい処女の失い方』 『コドモであり続けるためのスキル』 『おばあちゃんが、ぼけた』 『子どものためのお酒入門』 なんとも魅力的なラインナップだと思う。なんだよ、子どものためのお酒入門って、とか、世界制服か、聞いたことあるけどまさか可能性にでも触れてくれるなんて思ってもみませんでしたよ、といった感じに本のタイトルからしてツッコミを入れてしまう。興味を持っていかれる→手に取る→レジへ→出版社の術中へ。 最近買ったみうらじゅんの『正しい保健体育』は面白かった。こんな感じだ。 もともと男子は、金玉に支配されるようにできています。 金玉というのが本体で、その気ぐるみの中に全部入っているのが、人間の男なのです。 (中略)義務教育をきちんと受けるということ、それは金玉人間にならないためにどれだけ無駄なことを知っているか、という意味でもあります。本当は「やりてーぜ」「入れてーぜ」の二大テーゼがあれば人間の男は事足りるはずですが、そういう「本当のこと」だけを言わないために、義務教育を受けるものなのです。 (中略)エロなことを考えたりすることこそ、人間にとって「本業」です。 (中略)本当はモテない人はダメなのです。モテようとしない人は動物としていちばんダメで、松崎しげる氏のような方こそ、トップに君臨するはずなのです。 しかし、弱い人と共存するためにできたのが「社会」で、その社会を守るために生まれたのが「義務教育」なのです。 ですので、義務教育において性教育を行うということは、本来矛盾しています。実際にやるとなると、どんな教科よりいちばん難しい。 性教育と義務教育の矛盾点をつくところなんかはまともなのだけれど、それ以外は本音が過ぎてたり、おいおい、そこで松崎しげるなのか?と随所にツッコミを入れずにはいられないところが秀逸。つまり飽きない。 よりみちパン!セ、ちくまプリマー新書、この2つから目が離せない。 Philosophy/Ben folds five 歌詞もまたいいんだ。最近よくこのアルバム聴いてます。 5月2.5日
2008.10.14 Tuesday
ファミリーマート。
「お〜いお茶」を発見。 隣に 「お〜いお茶 濃い味」を見つける。 これは、どっちだ?と思う。 『マンネン!』 『くわわーっ』 「お」がないからわからないのであった。 2音の間には(オクターヴ)
2008.10.09 Thursday
ふと入った漫画喫茶のふと手に取ったこの漫画が、まさかこれほど自分の気を引きつけて離してくれないとは、思いもしなかった。平たく言えばレズ漫画。だけど、夢を見てるところも、現実離れした展開も(女性同士の肉体関係を抜きにして)この話にはない。彼女たちは現実を生きて、現実の延長である未来に、期待よりも多くの不安を抱いている。 登場人物の対比も魅力だ。雪乃が芸能活動をしていたのは4人のアイドルグループで、一人はAV女優に、一人は大学へ通い「かったるい、やめたい」と洩らし、一人は昔のアイドル時代の名を捨て、努力してオリコン1位の超人気歌手に。超人気歌手になった一人を除いて、3人でお酒を飲むシーンがあるのだけれど、あのリアルな描写は特筆ものだ。女性特有の会話で、嫌な空気を作ることに成功していると思うし、そういう会話にあんまり入りたくないのか、トイレに抜けたり、二人がしゃべってるのに一人体育座りで携帯をいじってる雪乃のワンカット。浮いてる感じ、ついていけてない表現がいいと思う。 そして何よりいきなり肉体関係に発展したために、節子のことで悩んでばかりの雪乃。一人でいることの孤独も、人を好きになってから感じる孤独も溢れている。大好きな節子との逢瀬の時間も雪乃は泣くことが多い。知らないことばかりで、不安でしかたない、という、本来なら肉体関係の前の段階で少しは解消すべきところをすっ飛ばしてしまったので、ちくちくと後から傷つくことになる。 同性愛を描いたものは、よく「純愛」と語られることが多いと思うが、それは性別に囚われない形而上としての愛を語ろうとする、いわゆる逆説の手法でしかない。手法は手法として定着してしまえば、因循姑息。オクターヴがそこからどう抜け出るか、節子の科白がオクターヴ2巻をより楽しみにしてくれる。 雪乃もさ−男とセックスしてきていいよ? さぁ!どうでる紺野啓!君の動きに期待しているぞ。まぁ、そのまま節子さんと仲良くてもいいのだけれど。ちょっと節子さんも傷ついて欲しいなぁ、と思っています。なんにせよ、展開が読めません。あー誰かと話したいから誰か買っておくれー。 後日談:友達にアフタヌーンを買っている人がいて、その人に「オクターヴ知ってる?」と聞いたら「あぁ、あのレズ漫画。え、あぁいうのが好きなんですか?」と聞かれて口ごもってしまった。よしてください、レズ漫画というのは。その言葉には抵抗あるくせに、内心大好きなのでした。 文体練習
2008.10.08 Wednesday
それが延々一冊の本にまったく違う文体で書かれたらどうなるか?それを試みたのが本書である。 たとえば「古典的」というとこうなる。 昼は、バス。満員のころはさらなり、やうやう乗り込んだデッキぎは・・・ たとえば「無関心」 わたしになにをお聞きになりたいとおっしゃるんですか。ええ、正午頃S系統のバスに乗りましたよ。混雑していたかって?そりゃあもう、その時間ですからねぇ・・・ たとえば「予言」 正午になったら、きみはバスの後部デッキに乗り込むことになるだろう・・・ このように本書は文体を変えつつ続くのだ。 ひとつの事実を書いたものに過ぎないのに、味わいも、雰囲気もガラリと変わる。 ストーリーは同じだが、BGMがまったく違う映画、素材は同じだが、味付けの異なる料理、対象は同じなのに描く人が違う絵画。そういうものを想像すればわかりやすいだろう。どれもこれもが、可能性という名の迷宮への入り口である。無限へのいざないは、不安がつきもの。本書の読後感に期待してはいけない。文章の可能性にのみ期待するのがいいだろう。 Generals And Majors
2008.10.06 Monday
日記を書かなくなって幾日か経ちましたが、ひっそりと復活しました。ゆるゆると書いていくつもりですので、これからもよろしくお願いします。
うーん。 まぁそんなところ。 ついこの前えみさんのブログで紹介していた、穂村弘の「にょっ記」からの引用を。 ジャニーズ 今からジャニーズの一員になることがあるだろうか、と考える。 おそらく、その可能性は限りなくゼロに近い。 だが、ゼロではない。 記者会見のフラッシュを浴びながら、入団(?)の挨拶をするところを想像する。 「最年長です」と私は恥ずかしそうに云った。 「アニキ」とキムタクが云った。 「いや、芸能界では君が先輩だから」と私は云った。 素晴らしいと思った。本を買いに行くだけにとどまらず、ネットの語源由来辞典で「素晴らしい」を調べてみたほどに。 どうやら近世江戸では「ひどい」「とんでもない」という意味で素晴らしいという言葉が使われていたとか。あながちこれに関しては「ひどい」「とんでもない」という意味でも当てはまっちゃうなぁ、と思った。46歳のおじさんがジャニーズになったとしたら・・・って妄想してるんだから。 ひどい。とんでもない。 穂村弘の妄想力はとどまるところを知らない。もう一個。 猫 散歩の途中で何匹も猫をみかける。 遠くからは猫にみえても近づくと意外に大きくて虎、っていうのが混ざってたら、こんなに気楽に散歩なんてできないんだろうな、と思う。 ローソンやデニーズに行くのも命懸けだ。 今日のはみんな近づいても猫だった。 ひどい。とんでもない。 でも、でもね、ときめいちゃって仕方ないんですよ!あぁ、駄目になっていく、と思いながらも穂村弘の世界から抜け出せないでいる。 そういえば峯田和伸の「恋と退屈」のあとがきにいいことが書いてあった。今手元にないのでうろ覚えだけれど、『もっと退屈でいたいと思う、もっと恋がしたいと思う。退屈だから恋がしたいのか、恋がしたいから退屈でいたいのか・・』と峯田さんは自問しているんだけれども、これにはちょっとした真理があるんじゃないかと思っている。 なるほど、僕が「駄目になっていく」と直感するのは、退屈になる!という焦りに近いものなのかもしれない。でも、恋をする気持ちの原初が退屈であるなら、あながち悪いことでもないのかもな、と思う。 だからいいや、もういいや。にょっ記を買ったその日、併せて買った「やめられない心理学」(文春新書)は読まなくても。冷静になったらね、終わりですよ。 退屈の。 恋の。
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