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アイロンのある風景
 3月11日の震災をニュースで見るにつけ、衝撃の連続で感覚が鈍磨している。
 先週までは何を言っても何をしても不謹慎と思えるような風潮があったように思う。実際普段なら看過されるような個人の発言に対しても揚げ足取りとも思える辛辣さではじかれる様を見た。(今でも原子力の専門家と呼ばれる人はたびたびニュースに召喚され、答えにくい質問に窮する画をカメラがとりまくっている)
 一方で、どれだけ自分が倫理的な発言をできるかで変な競争意識のようなものが蔓延している。募金の呼びかけ、ボランティアの参加。先週までコンビニに札が入っているのが普通に見えたが今日はなかった。これからゆるやかにもっと減るのではないだろうか・・・。

 対岸の火事を眺めるようにしか目に映らなくても、そこに生きて生活している人がいるのには変わりはない。ニュースで見た一番衝撃的だった映像は津波で家が流される様子でも、死者行方不明者の数でもなく、母親を失った女の子が「お母さん」と家があったであろう方角に向って泣きながら叫んでいる映像だった。

 ひとつ紹介したい小説がある。題は「アイロンのある風景」
 村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」という短編小説は、阪神淡路大震災の後それをテーマに上梓された作品で、その中に納められているのがこの『アイロンのある風景』だ。

作品自体が短く、登場人物も三宅さん、順子、啓介の3人だけ。順子と啓介は同棲していて、三宅さんは順子の働くコンビニの常連。三宅さんは画家でちょっと変わった趣味を持つ。浜辺での『焚き火』がそれだ。三宅さんと順子はやがて親しく口をきくようになり、焚き火をするときには順子にも声をかけるようになる。しぶしぶ啓介も付いていく。
「先月の地震」のことを尋ねる啓介に、「さあ、ようわからん。俺な、あっちとはもう関係ないねん、昔のことや」と応える三宅さん。

以下順子と三宅さんのやりとり。

「三宅さんって、どんな絵を描いているの?」
「それを説明するのはすごくむずかしい」
 順子は質問を変えた。「じゃあ、いちばん最近はどんな絵を描いたの?」
「『アイロンのある風景』、三日前に描き終えた。部屋の中にアイロンが置いてある。それだけの絵や」
「それがどうして説明するのがむずかしいの?」
「それが実はアイロンではないからや」
 順子は男の顔を見上げた。「アイロンがアイロンじゃない、ということ?」
「そのとおり」
「つまり、それは何かの身代わりなのね?」
「たぶんな」
「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」
 三宅さんは黙ってうなずいた。
(『アイロンのある風景』より)

 服のシワを伸ばすアイロンは今の被災者たちにとって早急に必要なものではないと思うが、そういう衣食住の次にある豊かさを当り前のように享受していた日々から隔絶されてしまった人たちが今現実にいる。
三宅さんが絵に託しているのはその当たり前だったはずの生活の残滓なのだろう。
この『アイロンのある風景』は次の会話で締めくくられる。

「焚き火が消えたら起してくれる?」
「心配するな。焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目は覚める」
(『アイロンのある風景』より)

ニュースから映像が届かなくなっても生き残った人は生きなくちゃいけない。
いやでも生活は続いていく。
そんな生きていくことの残酷さがでている台詞だ。

| 村上春樹 | comments(0) | trackbacks(0) |
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