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贈り物に困ったら。
 11月にもなれば、すでに街ではクリスマスのイルミネーションがすっかり始まっている。浮ついた気分のご相伴にあずかって、ついつい僕の気持も浮つきだす。と、こう言うと僕が普段から身を引き締めて生活しているように聞えてしまうけれども、言わずもがなの体たらく。

 小説や物語で、好きな場面というものは数多あるけれども、わけても「プレゼント」の受け渡しの場面は大好物だ。
 「大草原の小さな家」のクリスマスプレゼントの場面には十代の少女のようにときめいて、「小説家を見つけたら」のフォレスターの台詞「女性の心をつかむコツは、思いがけない時に思いがけない贈り物をすることだ。こいつは百発百中だ」は思わずメモをし、「パパ・ユーアクレイジー」に出てきた誕生日プレゼントは、確か「下の顎」という変てこな題のついた父の自作小説だったことも、とてもよく覚えている。
 いずれにしても印象に残っているこれらの場面は、心の通ったプレゼントに関わることなのだ。

 2週間くらい前にえみさんから「monkey business(文芸誌です)に載っている短歌、すごく良いので是非読んで欲しい」とのメールを頂いて、さっそく、というわけではないが、昨日買いに行ってきた。
 本屋の近くにあるドトールコーヒーでパラパラと捲っていくと、O・ヘンリーの「賢者の贈り物」に行き当たった。時期的にもぴったりのこの話を、今日は紹介したいと思う。

 あるところに、貧しい老夫婦のジムとデラが住んでいた。この夫婦には自慢できるものが二つある。それは、主人のジムが持つ懐中時計と、夫人のデラが持つ美しい髪だった。
 とても貧しいこの夫婦は、クリスマス・イブの夜にプレゼントを贈ろう考えているのだが、どうしようもなくお金が無いのである。そして、クリスマス・イブの夜、妻のデラは夫の懐中時計につける鎖を自身の髪を売って得たお金で買い、夫のジムは妻の髪飾りを自身の懐中時計を売って得たお金で買う、という話である。

 これが「賢者の贈り物」の筋である。一読すると、このちぐはぐの行き違いは、とても賢い贈り物だとは言えないかもしれない。互いに無駄な買い物をしてしまったかのように思う。しかし、O・ヘンリーはこう締めくくっている。

 しかるにここで私がつたなく語ったのは、たがいのために家の最大の宝をおよそ賢明でないやり方で犠牲にした、アパートに住む二人の愚かな子供をめぐるごくありふれた物語である。けれども、今日の賢者たちに向けて最後に一言言わせて貰うなら、二人こそ最大の賢者なのだ。贈り物を与え、受け取るすべての人々のなかで、彼らのような者たちこそ最大の賢者である。どこであろうと彼らこそ最大の賢者である。彼らこそ東方の博士なのだ。
 つまり、贈り物を選ぶとき、何が人気なのか、何が女性に(あるいは男性)喜ばれるかを考えてはいけない。それは賢いだけだ。
 贈り物は、「あの人」に喜ばれるものを考えなくてはならない。それがたとえ身銭を切るような、傍から見れば愚かな選択であったとしても、贈り物の選択として間違っているとは言えないのだ。
 この夫婦は、互いの大切にしているものをよく熟知していたし、それを飾る品を身銭を切ってまで相手にプレゼントしたのだ。O・ヘンリーのこの短篇は、贈り物の極意を教えてくれている。
 
 僕の言いたいことはこれだけ。
 贈り物にお困りの人は、他人に相談しないこと。

Can't Cook/The Car Is On Fire
| O・ヘンリー | comments(15) | trackbacks(0) |