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シングル・セル
2009.09.15 Tuesday
本書はえみさんオススメの本で、増田みず子という人自体初耳だが、深い!とにかく深い! 本の裏にはこのように紹介されている。 椎葉幹央は大学院に籍を置く学生、五歳の時母をなくし、十六歳の時父と死別、以来一人で生きている。 脳みそを休ませていると話についていけない、ということはないが、多くの謎が残るままに妙な読後感を残してしまう。主人公の性質が、どうにも不可解な点、というよりも普通ではないところが多いのだ。 椎葉幹央は物心ついたときから父との二人暮らしで、父が死んで(幹央は十六歳)初めて戸籍標本を取り寄せ、自分が五歳のときに母が亡くなっているということに気づくのだ。普通だったら母親の不在についてもっと気したり、父と会話したりと何かしら交流があってもいいはずなのに、それがまるでない。『彼と父との仲は、親子であるという以上に、共同生活者であったのだ』とあるほど、二人は互いに干渉も交流もあまりもたず、三度の飯と、衣服、学校での必要な金だけで満足を覚えていたし、お互いがお互いを悪くない共同生活者、という一見醒めた関係でもって当人達は不足を感じない。 また、父が亡くなってから、会社の同僚であるGという人物が葬儀のあらゆる手配や、近親者への報告、椎葉の将来のことを案じての助言に対し、当の椎葉はすげない態度ばかりとる。 Sという友人の思いやりに対しても冷たく、高校の担任教師への進路に対する意見も、これをしりぞける。 彼は再び猛勉強をはじめた。彼の学力を判断して教師がすすめてくれた学校ではなく、その上の学校を目指した。そこは君には無理だ、と教師が仄めかしたからである。農学部を選んだのは、クラスに、農学部を志望する者がいなかったからである。というくらいに、反発から自分の道を決めるきらいがある。そしてまわりの人々から離れていく。しかし、そうして選んだ道が偶然にも(?)自分の心地いいと思える場で、椎葉は自分の考えに力を得る。ますます人のほどこしは受けない、助言は聞かない、反発する。 もちろん彼は孤独だけれども、それをどうとも思っていない。むしろ心地よさを感じている。しかし、ある日、修士論文を書くために宿泊した宿で、陵子と出会う。陵子は両親と不仲で、一人暮らしをしているらしいが、椎葉と出会い、椎葉の家にいつくようになる。陵子も不思議で、必要以外は一切口をきかず、部屋にいるだけで生活している痕跡を全く残さない。家にいるだけで、たまに夜に椎葉との体の交流があるくらいだ。何も文句も言わず、食事をどこでとるのかさえ判然としない。椎葉が家を空けるとき、どうしているのかは全くもってわからないし、椎葉もそれをことさら聞こうとはしない。他人の家の猫が住み着いて、どうやら向こうでこちらを気に入っていて、こちらも向こうを気に入っている、という程度のまるで人間同士の交流とは思えない男女関係だ。 ようやく一週間目あたりだったろうか、陵子の居候は案外長引きそうだ、と彼は気がついた。帰るたび、今夜もいた、今夜も居すわっている、と驚いていたのだが、やっぱり今夜もいなくならなかった、と安堵する思いに少しずつ変わってゆき、きっと今夜もいるぞ、と思い、いろ、と思う。いても驚かなくなる 住み着いた猫、と椎葉が思っていたのもつかの間、いつの間にか椎葉の方に陵子に対しての依存が出始める。ようやく人間らしさを得たと言っていい。そのうち相手のことが気になりだした椎葉は、しだいに陵子に対して興味を持ち始め、なぜいつまでも部屋にいるのか、両親はどうしているのか、なぜ自分を選んだのか、と少しずつ質問をしていると、ある日陵子が部屋から消える。 そしてまた、陵子は舞い戻り、自分のことを椎葉に語りだす。両親との不仲、旅館の跡継ぎだった兄の失踪、正月の息苦しい家族との空間。―類は友を呼ぶ。二人は互いに孤独で、人同士のつきあいが極端に不得手なのだ。 「大勢の人に囲まれていればいるほど、賑やかで楽しいほど、気が滅入るの。まわりが活発で忙しければ忙しいほど、私は手持ちぶさたで退屈する。どうしてこんなに淋しくて退屈なのかしら、といつも思ってた。でも、ここにいると、なんだかとてもうきうきしてきて、やることがいくらでもあるって感じ。あなたを見ていると、とても人が懐かしいように思えてきて、自分でもよくわからないけど、すごく健康で元気で明るくなった。他の人では、だめなのよ。私を放っておいてくれる人がそばにいてくれないと。ふつうは、矛盾よね。放っとくくらいなら、付き合わないでしょ。でもだんだんあなたも他の人と同じになっていく。いろんなことを知りたがるのは、でも、仕方がないんだと思う」ヘーゲルという哲学者は、社会をひとつの「木」個人を「一枚の葉」として捉えた。木にはたくさんの葉がついている。ヘーゲルの考えでは、我々ひとりひとりは、この葉と同じだ。社会という幹につながっていなければ、存在する意味がない。木全体の中で葉の役割が決まるように、社会の中にあって初めて個人の存在価値も考えられるのだ。一枚の葉は枯れ落ちても、社会である幹は、成長を続ける。椎「葉」「幹」央、という名前はもしかしてこの考えから採られたのではないだろうか。 また、先の引用から、大勢といて人心地がつかないのは椎葉も同じだ。陵子と同じく、幹に、社会集団に、距離を置いている。社会から切り離された個と個、孤と孤は、それだけではたしてうまくやっていけるだろうか。それは、椎葉の論文のテーマでもあるのだ。 「シングル・セルって、知ってます?」ミイラ取りがミイラに、という様相。最後にはどうなるのか。それは本書をとって読むことをおすすめしたい。少しばかり難解、ということは言っておきます。 ―追記― すみません、この「シングル・セル」は絶版でした(笑)図書館で見つけるか、ネットで見つけるか、古本屋で見つけるかしてください。文庫本なのに1300円。さすが講談社学芸文庫。文芸って売れないんですねー…好きなんだけどなぁ。
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