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田辺さん、結婚。
メールのタイトルが『二次会のお知らせ』だからすぐに気付いた。
高校からの友達である田辺さんからのメール。
高校1年の頃だけだけど、同じクラスだった同級生。

不思議なもので、会社の5年同僚をやっていて挨拶だけする人なんかよりも、ただ1年間の高校の友達のほうが色んな話ができるように思う。大人の5年は学生時代の1年に劣るなぁ。
でも、だからといって大人が学生に劣るとは思わない。学校、家だけが世界のぜんぶだった時よりも遥かに話題は増えているし、それなりにずる賢くなって適当な距離感で話ができる。マジな人間関係の濃密さが息苦しかったというのもある。

最初のクラス、最初の班は名前の順。田島と田辺は同じ班になった。
喋るとき、あんまり自信がないのか伏し目がちに喋る人。そのくせブラックジョークがわかる人で、人の悪口を俺が吹き込むと、たしなめるどころかひとつ上をいく返しが面白かったっけ。笑いのツボが似ているからか、すんなり仲良くなれたように思う。

二次会の会場は六本木。
高校の友達とテラス席に座って勝手気ままに近況報告しあったり「すごい規模の二次会だね」「めっちゃお金かかってそう!」「こんなに人呼べる?自分の結婚式で?」って下衆な話をしていたり。
食事がすごくおいしかったんだけど、隣の店から常にそら豆を煮てるような匂いが漂ってきて笑っちゃった。自分が食べてないそら豆のくささったらないね。それさえ笑いにしちゃえば話の肴。
とても寛いだいい会だったな。

裕子さん、結婚おめでとう。
あの優しそうな旦那さんならきっと裕子さんを大事にしてくれると思います。
飯尾裕子に幸あれ!


| 日記 | comments(0) | trackbacks(0) |
誕生日
  29歳になって、プレゼントをもらう。
 今回はリクエストを出していたので、どんなのかなー・・・という想像の雲はもくもくとさせてなかったが、やっぱり実物を前にすると、とびあがるほど嬉しかったなあ。
こんな感じです↓


ブックカバーだけじゃなくて、最近読んで気に入ったと言った作家ジュンパ・ラヒリの単行本までいただいちゃって・・・。海外の作品の単行本って、高いからどうしても気軽に手がでない。でも、はやくカバーをつかいたいのに単行本。悩ましい!

カバーの中身に関しては家に帰ってから2冊の候補を並べてみた。



比べてみるまでもねえ!

大事に使おう。プレゼント、ありがとう。
| ときめき | comments(0) | trackbacks(0) |
好きになっちゃったんだもの。
 僕の友達に田沼くんという人がいて、これが面白いやつなんだ。 喋りがうまくて場を盛り上げられるし、なにより自分の考えを持っているのがいい。言葉にすれば簡単だし、一般論かもしれない「自分の考え」って、でも、持っている人ってほんとに少ないように感じる。そんな田沼くんから、非常に田沼くんらしいメールがきた。
 
 04/16 22:40  TITLE:おひさ。

まぁ、長文ですが、お付き合い下さいませ…。

王様の耳はロバの耳ってね。言わないと我慢できない事なんです。

はてさて、
前置きが長くなりましたが僕が何を言いたいのかと言いますと、ホットな話題ですが、「村上春樹が好きだ」と言う方について…

大抵こうおっしゃる方にね、「何処が好きか」って尋ねると「独特の世界観が〜」「雰囲気が〜」って言うのよね。

そう言われるとにやけちゃうわけですよ。。

「あ〜、つまり何も解んなかったわけだ!!」ってね(笑)

うんうん、もう君はアレだ。「村上春樹が好き」改め「村上春樹が好きな自分が好き」だ。

休日にスタバでiPhoneいじって村上春樹読んじゃうんだねっ!?ってね!!

感銘受けた本がジョブスの自伝で好きな作家は村上春樹だね!?アイシーアイシー。

………あー、公でゲロったら炎上必至だね☆

低脳乙wwwwとかいわれんだろな〜。で、じゃあ何処がいいか教えてって言ったらお前じゃ言っても解んない……的な??

いやぁ、楽しかった(笑)

あ、なんかゴメンね(´∀`)
 22時過ぎに、この長文メールをひとり携帯に向かって打っている田沼くんもいじらしくてなんかいいと思います。でも、それを村上春樹好きだと言っている自分に送ってくるあたりなかなかできないことだ。人徳かな?ありがたや。返事は翌日、通勤電車で座れないという憂き目にあっていた朝に返した。

 04/17 07:47  TITLE:Re:おひさ。
 
休日にスタバでiPhoneいじりながら村上春樹云々はさておき、気持ちはよくわかるよ。
本を読んでなかった昔は、何かにつけ「本を読め」 って言う人に腹が立つ思いがあったなあ。だからとりあえず本100冊読んでから文句言う資格を持って
本を読んだって意味ない」って言いたかったのを思い出した。

読書の意味はあんまりないと思うけど、一人でいることに慣れるツールであるかもしれないし、想像力を持てるようになるだろうね。

想像力を養えば、少し難しい具体的な問題も抽象化して、置き換えることができる。

例えば田沼が大好きなお笑い芸人で、人気があるんだけど、その良さがさっぱりわからないって人がいるとする。その笑いを「どこがどう面白いの?」って人に聞かれたら、そう聞いてくる時点でもうお手上げだって思わない?面白さに説明がつくことが、実際の面白さとは何も関係がないのがわかるでしょう。

これは皮肉じゃなく、村上春樹の言葉だけど「説明しなくちゃわからないということは、いくら説明してもわからないということだ」ってのがあったよ。村上春樹嫌いって言うことは、何かよくわかんないけど人気らしいから読むってだけの人よりも数倍カッコイイ発言だから公でゲロってよし!
 というわけで、変わりに載せてみた。
 
 それから5月8日、また田沼くんから村上春樹関連のメールがきたわけなんだけど、それはAmazonのレビューにひどい奴がいる、というものだった。友達になりたいくらい、とのこと。それは気になるなぁ、と読んでみた。(さすがに他の人のレビューのリンクは貼るつもりはないので、気になるかたは検索してください。タイトルは『孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説』)
 レビューのタイトルでおわかりのとおり、辛辣な評だった。その評の軸足は、リアルじゃないといった感じのもの(おしゃれすぎる、それでモテるって詐欺だろetc…)で、友人に喋るような口調で書いてある。読んだ方はわかると思うけど、それは芸のレベルに達している。
 
筋をずらずらと書いてしまう書評って困ったものですね。とくに結末まで書いてしまうというのは問題がありあます。(中略)一般論で言って、書評というのは人々の食欲をそそるものであるべきだと、僕は思うんです。たとえそれが否定的なものであったとしても、「ここまでひどく言われるのならどんなものだかちょっと読んでみよう」くらい思わせるものであってほしい。それが書評家の芸ではないでしょうか。
 
 『少年カフカ』/村上春樹
 皮肉(?)なことに、レヴューに対しての感想にも「逆に読みたくなってきた」というコメントがある。そして、批判するためであっても、『多崎つくる〜』からの引用をふんだんに使って説得力を増しているから、それなりの時間をかけてこの作品を読んでいるのがわかる。
 村上春樹からの引用ばかりで恐縮だけれど、『たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ』という台詞がねじまき鳥クロニクルにあることを思い出した。僕はたっぷりと時間をかけ、100冊以上の本を読んで文句を言う資格が欲しかったし、このレビュアーもまた、時間をかけてその復讐をしている。それは洗練されている。少なくとも誰かの意見の切り貼りではなく、そのひとの頭で考えられた言葉だから。

 その人の書評を読んで、そうだよなーそうだよなー、とうなずきながらも「だから嫌い」にはならない自分がいる。
 とにかく好きになっちゃったんだもの。それは理屈を超えているから。恋と同じで。
 そのくわしいところは前回の記事に書きました。




イッサイガッサイ/KREVA
好きになっちゃったんだもの。
| 村上春樹 | comments(2) | trackbacks(0) |
「好き」への道のり


 まずは「気になる」ことから始まる。
 気になって、「いいなぁ」とつぶやくうちに心が暖かくなり、暖かさで熱を帯びた心は「熱心」と誰かに呼ばれる。熱が冷めなければ次第に火が宿され、気づくと火に包まれて「熱中」の人となる。これがしばらく続くと、やがて火中の熱さにも気付かなくなり、いつのまにか火ではなく夢の中に入り込んで、もう「夢中」である。
 問題はこのあと。
 夢は、自分の見ているものだからまだいいとしても、「夢中」が高じてくると、ついには「虜」となり、囚われの身となって、しだいに「自分」が失われてゆく。
 世の慣例では、「自分を見失う」のはよくないことのひとつに数えられているが、そう言いながらも、人は常に「我を忘れること」に出会いたいとどこかで願っている。何かに夢中になりたいと探し歩き、それでもなかなか出会えないので、仕方なく夜になると大酒を飲んで我を忘れたりする。
 どうして人は、そんなにも「我を忘れたい」のか?
 夜毎、大酒を飲みながら考えてみたところ、どうやらこの問いは「人はなぜ恋をするのか」と同義であると酔いの中で思いついた。それなら答えは簡単である。
 「そんなことは知らない」
 しいて言うなら「本能」ということになるかもしれないが、「本能だから」という簡潔な答えは、略さず正確に言うと、
 「まぁ、よく分からないけれど、とにかく仕方ないよ、本能なんだから」
 となる。
 とにかく理屈ではない。とにかく好きなものは好き。とにかく気になって、とにかく熱中して、とにかく夢中になって、とにかく虜になってしまった−というのが恋である。
 「とにかく」である。
 そして、人は「とにかく」を何より信じている。理屈を超えて信じることが、つまり「我を忘れる」であり、「我」とはすなわち「理屈」のことに他ならない。とかく理屈ばかりを掲げてそれに縛られていると、縛りをほどいて「我」の核心にある「本能」に立ち返りたくなる−そう思いませんか?
 「それだけかね、君の理屈は」
 医師はそう言うと、私のカルテをしたためて、最後に「病名」を簡潔に書き記した。
 <活字中毒>

 『という、はなし』(とにかく)/吉田篤弘(文) フジモトマサル(絵)
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金沢旅行
  5月1日から3日までの2泊3日で金沢に旅行してきた。
 ゴールデンウィークが10日間もあると、この期間に行かなきゃいつ行くんだって気持ちになっちゃうしね。
 事前にあれこれ調べておく時間もなく、向こうで新谷さん(自分と彼女の唯一共通の友人)と会うアポだけとりつけとにかく新幹線に乗り込んだ、という感じで旅行は始まった。

 5月1日:金沢到着がだいたい19:30くらいだった。その日は小雨がぱらついていて、観光はせずに駅前のショッピングビルに入った。本屋に入って、洋服を見て、コーヒーを飲んで、それからホテルに移動した。
 夕ご飯を食べに行くために外に出て歩いていると、向かいから歩いてきたお兄さん。「買っていきませんか、ワッフル」と、唐突に路上販売が始まって、その唐突さがなんだか好感持てて、いや、たぶん「これぞ旅行」的なものを内心求めていた自分はそれに応じてワッフルを買った。お兄さんは驚いていた。まさか買う人がいるなんて・・・。ワッフル1個250円也。
 夕食は、海鮮を食べさせる居酒屋のようなところで食べた。自分の声は人の声と比べて通らないので、あんまりがやがやしていると会話が困難になるから、落ち着いたお店がよかったんだけど、金沢に来たのなら是非とも海鮮を食べたかったしOK。さすがに出てくる魚は新鮮でおいしかったな。最後に食べたイカのホイル焼きが、思いのほか口にずっと残ってしまったのには辟易したけど・・・(歯磨きしても抜けないイカの匂い・・・)

 5月2日:朝風呂を入りに泊まっているホテル提携の大浴場へ。露天風呂が売りのところで敢えて室内の浴槽に入る。開放感は、頭の上よりも人との距離で感じていたいのでした。


さあ兼六園へ行くかー、と乗り込んだバスは反対方向へ・・・。
いや、俺は犀川が見たかったんだよ。ほらーいい景色。少し曇ってるけど。
朝見ていたテレビで、「俗説ですが、トラベルの語源はトラブルからきているという説があるみたいです」と言っていたっけ。タイムリーすぎ。 
兼六園到着。すっかり日もでてきて、平日というのもあるけど空いている。
苔の匂いがたまらん。濃い緑だけが出せる酸素がある。そんな気がする。


21世紀美術館へ移動。るるぶにこんな絵があったので真似てみる。
金沢人にバカにされないかと内心びくびく。

お昼に食べた海鮮丼。う、うまい。


昼食後、新谷さんと合流して茶屋街に連れていってもらった。
OH、ジャパニーズ町家〜。ハラキリ〜。
腹は切らないかわりにアイス最中を食べた。

夜になり、もう一度21世紀美術館へ行って、せせらぎ通りにある落ち着いたお店で夕ご飯を食べた。スタバでコーヒーを求めて、寒い中新谷さんをバス停まで送った。アラサー男の皮脂を含んだカイロを渡して別れた。この日は夜からほんとに冷えたなあ。

 5月3日:なんの予定もないし、何時ごろ帰ろうかも決まっていない。自由な日が始った。それにしても大荷物を持ったままうろつけないから、とりあえず駅のロッカーに荷物を預けなくちゃね。

金沢駅は高校生の吹奏楽の演奏をしていた。ロッカーはあったんだけど細かいお金がなくて、ずいぶんうろうろしてしまった。

 昨日歩いたせせらぎ通りにあるお店が気になると言うえみさん。いいねえ、そうやって思いつきで予定を埋めていきたいのよ、今日は。

ラリーというお店で小さい髪飾り(自分がおじいちゃんみたいだ)を買ったみたい。

せせらぎ通りから1本脇道に入ると、武家屋敷の通りにでた。
ワークショップで加賀棒茶の試飲、和菓子屋の前で試食。
無料のティータイムが実現。ミラクル。

新谷さんの言うところの、石川県民のソウルフード、8番ラーメンを食べに行った。
迷子になりながら、言われていた店舗とは違う店舗になったけど、なんとかありつけた。
いっぱい歩いたからラーメンがおいしいぜー。

お腹がいっぱいになったら目の前に広がる芝生に寝転がりたいと思うのが人間である。
と言ったのは俺だっけ?実践するしかないでしょうな。

ということで、約30分くらい芝生に横になってから、金沢を発つ。
最後に横になれたってだけで「いい旅行であった」といえる。


向こうに見えるホテルに泊まったんだなー。狭かったー。安かったー。


帰りの特急車内。旅費の清算。約5万円の旅になったみたい。

たまには旅もいいもんだ。
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あたらしい自分はつくれないのか
  「私はまだ子供だし、結婚がどういうものかなんて知らない」と笠原メイは言った。「だからあなたの奥さんがどういう気持ちで他の男の人とつきあって、あなたを捨てて家を出て行ったかなんてもちろんわからない。でも今の話を聞いた限りではね、あなたはそもそもの最初からちょっと間違った考えかたをしていたような気がするの。ねえ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことはだれにもできないんじゃないかな。『さあこれから新しい世界を作ろう』とか『さあこれから新しい自分を作ろう』とかいうようなことはね。私はそう思うな。自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かあればそれが『こんにちは』って顔を出すのよ。あなたにはそれがわかっていないんじゃない。あなたはよそで作られたものなのよ。そして自分を作り替えようとするあなたのつもりだって、それもやはりどこかよそで作られたものなの。ねえ、ねじまき鳥さん、そんなことは私にだってわかるのよ。どうして大人のあなたにそれがわからないのかしら?それがわからないというのは、たしかに大きな問題だと思うな。だからきっとあなたは今、そのことで仕返しされているのよ。いろんなものから。たとえばあなたが捨てちゃおうとした世界から、たとえばあなたが捨てちゃおうと思ったあなた自身から。私の言っていることわかる?」

 ねじまき鳥クロニクル-第2部-
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旧き良き時代って、どう?
  コンプレックスが偏見と相性がいいと書いてから、思いつくところがあったので書いておこうと思う。
 数ヶ月前に読んだ益田ミリの「言えないコトバ」という本に「旧き良き時代」という章(というかコトバ)があって、何か腑に落ちるものがあった。内容はまったく忘れてしまったのだけれど、その単語そのものから感じる何かが僕にもあったわけだ。
 僕の父は音楽好きを標榜している。生徒をとって音楽を教えていたし、ギターも弾いていた。(病気でいまはそれもかなわないが)
 ただ、好きすぎるゆえに自分なりのこだわりをこつこつと築いたのか、自分の思う「音楽」から逸脱したものに対しては、とても不寛容。
 僕が何度も何度も聴いて、これはほんとにいいCDだと思ったものも、くだらないって一蹴した。中学とか高校の頃には面白くないな、なんて反発心を抱いたものだ。
 僕はだから、父に反抗した。旧い音楽を聴いても良いなーって言うし、新しい音楽を聴いてもいいなーって同じように言った。(実際時代なんて関係なく良いと思うものは良い)僕はその態度で、父の不寛容を浮き彫りにさせ、なんとか新しい音楽もちゃんと評価してほしいものだと、思った。嫌味なやり方だとつくづく思うけれども。
 しかし父の構築した音楽観は固かった。僕は折れた。まぁそういう人もいるよな、と片付けた。ただ、子どもながらに僕は誓った。父のようにはなるまい。歳をとっても新しい音楽もちゃんと聴ける大人になってやる、と。
 働くようになってから、僕の生活に新しい音楽が全く入ってこない時代がやってきた。昔の自分を裏切るようでしのびなかったけれど、歳をとるということがそのまま大人になるということなら、僕もこのまま手持ちの音楽で父のような大人になるのかもしれないと思うことがあった。そこに恐怖はまったくなかった。
 だけど、通勤時間にラジヲを聞くようになり、新しい音楽が自然と入ってくるようになると、ちゃんとその音楽を好きになった。僕はまた、CDを買うようになり、昔の自分を裏切らずに済んだことに安堵を覚えている。
 ただ前よりも父の気持ちが幾分かわかるようになった。ある可能性のひとつの未来が僕の父の姿だと思えるようになった。それは「旧き良き時代」を懐かしむ大人の姿なんだと思った。
 父の「昔の音楽がいちばんだ」という偏見は、もしかしたら時代についていけないがゆえのコンプレックスの一表現じゃないかと考えられる。テレビでもよく耳にする「いまの若者は・・・」で始まる苦言の枕詞は、(あたりまえだけれど)常に大人側からの発言だ。(たまに若者も使うが、それは「自分は大人ですよ」というアナウンスではないだろうか)例を挙げれば逆もある。子どもが「早く大人になりたい」と口にするのは、若さに対するコンプレックスと考えてみる。その裏には大人に対する偏見がある。(偏見の内訳は「お金が自由に使える」「宿題がない」「髪を染めても怒られない」とかだろうか)
 たまにテレビで耳にする上の枕詞にやりきれない思いを感じるのは、それを無自覚に使っている大人の抜けていない無邪気なこどもっぽさに、だろうか。

 自分が何かを不満に思ったとき、それが由来するコンプレックスについて考え、逆の立場にまで想像の及ぶ人になれればと、今そう思う。ややこしいし、時間はかかるけれどもね。


マウンテン マウンテン/cero



「先月」でた「新しい」アルバムいいよ!(あなたは試されている・・・!)
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悪の教典
 今日悪の教典を見てきた。小説のほうは読んでいた。内容は知っていたので、展開に汗を握るということはなかったけど、えげつないシーンの連続に直視するのに耐えないという意味で嫌な汗を握っていたかもしれない。拷問のシーンは、見えないが故の怖さが前面にでていた。
 伊藤英明がごきげんにバン、バン、バン、と生徒を血祭りにあげていく(それが文化祭準備の日という浮かれた祭り気分が皮肉すぎる)。
 その「バン」という銃声に悲鳴を飲み込むのに結構苦労した。こっちの心臓が縮みあがったよ。生徒の恐怖の演技もよかったし、観終わったあとにえみさんと話したけれど、伊藤英明の他に蓮実役は誰が適任か?と二人して考えて、でてこなかった。さわやかで、タフで、生徒思いの教師をやれる人。
 織田裕二かな、とも思ったけど、CMスポンサーを考えて、無しだろうと思う。(ヨコハマタイヤが滑らずにきちんと止まるのは、彼に安全であり一線を越えない、というイメージがあるからではないだろうか。世界陸上の司会だってやるんだ。さわやかでタフで、熱もある)

 すごい映画を観てしまったなぁという印象があるけれど、感想を言うのに喉元まででてくる「いい映画だったねえ」を果たして言ってしまっていいのかどうか。

 「いい」というのも広い意味のある言葉だなあなんて思ったりしました。
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コンプレックスから見た世界
  最近太ってしまった。毎年夏にはバテてしまって食欲がかなり減退するのだけれども、今年はまったくなかった。ただご飯がうまかった。
 まず兆候は、ズボンがキツイのでは?という体感から。かがむとき、ふとももがぱつんぱつんになっている。・・・まさか。
で、案の定体重をはかってみたところ、60kgになっていた。身長が約170cmだから、いちおう適正体重なんだけど、いままでなかったことだからショックが大きい。
 そうして夜な夜な脚やせのネット記事なんぞを読んでは効果があるのかないのかわからない怪しい体操を取り入れたりしている。

 いままでが痩せていたほうだったから、そのときは「太りたいなー」なんて軽々しく口にしていた自分の口が呪わしい。手持ちの洋服がことごとく似合わなくなっていくのは、とても悲しいことだと体験した。

 街を歩くと、あの人の足は痩せてるなぁーとか、スタイルがすごくいいなぁーとか、いままで気にしていなかった部分が目に付くようになる。そんな風に人を見たりしたことはなかったのにね。コンプレックスを抱えると、痩せている人、太っている人で知らず知らずのうちに人を分けている自分がいる。コンプレックスと偏見は相性がいいのかもしれない。
 
 きっと、かつらを被っている人もまた、あいつはフサフサ、あいつは禿げって分けているんだろうな。
 
 たまにまったく偏見をもたない意見ばかりを言う人がいるが、あんまり会話が楽しいと感じることはない。一般論は、ときに人をいらいらさせるということを心得ていない人か、自分に心を開いてくれない人なんだと思っている。そういう人はたいてい容姿端麗。ひとは美しいまま気の利いた意見を言えないのか。

 これは、父親のひとつの偏見。
 「黒い軽自動車に乗っているやつは、頭が悪いか、頭の悪そうな趣味をもっている」すげえなと思う。バッサリ切ったな。
 で、走る車を見ると、うーん・・・僕は父に賛成します。

 
 
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ドラッグと似ているのは化粧だけじゃない
 
 「かつらの寿命ってね、実はけっこう短いからよ。あなたは知らないかもしれないけど、だいたいあれ二、三年しかもたないのよ。最近のかつらはものすごく精巧に出来ているからね、それだけ消耗も激しいの。二年か長くても三年たったら、だいたいは買い替えなくちゃならないの。ぴったり地肌に密着しているから、かつらの下にある自前の毛が前より薄くなればなったで、もっときちんとフィットするものに替えなくちゃならないしね。それでね、まあとにかく、もしあなたがかつらを使っていて、二年経ってそれが使えなくなったとしたら、あなたはこんな風に思うかしら?うん、このかつらは消耗した。もう使えない。でも新しく買い替えるとまたお金もかかるし、だから僕は明日からかつらなしで会社に行こうって。そんな風に思えるかしら?」
 僕は首を振った。「たぶん思えないと思う」
 「そうよね、思えないわよね。つまりね、一度かつらを使いだした人は、ずっとかつらを使う宿命にあるのよ。だからこそかつらメーカーは儲かるの。こう言っちゃなんだけど、ドラッグのディーラーと同じよ。一度お客を掴んでしまえば、その人はずっとお客なの。おそらく死ぬまでお客なのよ。だって禿げた人に急に黒々と髪が生えてきた話なんて聞いたことないでしょう。かつらってね、だいたい五十万円くらい、いちばん手間のかかるのは百万円くらいするのよ。それを二年ごとに買い替えるんだものね、大変よ、これは。自動車だって四年か五年は乗るじゃない。下取りだってあるじゃない。でもかつらはそれよりももっとサイクルが短いの。そして下取りなんてものもないの」
 「なるほど」と僕は言った。
 「それにね、かつらメーカーは自前の美容院を経営しているわけ。そこでみんなかつらを洗ったり、自前の毛を刈ったりしているの。だってそうでしょう、床屋さんにいって鏡の前に座って、よっこらしょってかつらを取って、さあ刈ってくださいってちょっと言いにくいじゃない。そういう美容院のあがりだけでも相当なものになるの」

-ねじまき鳥クロニクル(第1部)-

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